2014年07月10日

こんにちは、
エンパワメントプロデューサー
ひぐちまりです。

9月1日に「エンパワメントライフ」の
WEBサイトオープンに向けて準備中。
わたしスタイルラボのもち月さんに
ご指導いただき、
今日はプロフィールを仕上げました。

その中で
私が「エンパワメントプロデューサー」に
なったわけを書いています。
お読みになった方
是非感想を頂ければうれしいです。

10483639_595127353935303_7456062726620701157_n



〜エンパワメントプロデューサーになったわけ〜

私は、今では人前で話したりテレビ出演を
しているが、もとは極度の人見知りだった。

人と関係をうまく作れず、小学校4年生で
「友達もできないのに、結婚は無理だろう」と
思い、最初の就職は、キャリアをつむことで
生涯仕事ができる外資系を選ぶ。...


劣等感が強く自分には何の価値もない
と思って苦しんだ20代の頃の私は、
感情のスイッチをオフにし、
結果を出すことで自分を保った。
そんな私に上司はこう言った。

「あなたはとても頼りになる。
 でも、あなたの中に喜びややさしさが
  あるのか、私にはわからない」

これを聞き「このままではいけない、
このままでは私はダメになる」と思い
自分を変えるため、
「自己啓発セミナー」に通いはじめた。

そこで、リーダーのポジションに
ついたのをきっかけに、コ
ミュニケ―ションスキルや
人間関係は改善し、
私は大きく変わった。



30歳の時、自分の結婚式を自分で
プロデュースした経験をもとに
「ウエディングプロデュース」の会社を設立。
ブライダル業界の経験ゼロ、
サービス業の経験ゼロ。
周りの誰もが「無理だ、成功するはずない」
と反対し、ブライダル業界からは
「結婚式をないがしろにしている」と
厳しいバッシング。



それでも20年会社を運営し1万組以上の
結婚式をプロデュース、
テレビ出演20回以上、本の監修12冊と
「業界の草分け」と言われるまでに。



でも「自分を変えよう」として
「偽りの自分」が創った結果が
大きくなればなるほど、
「いつこの結果を失うのだろう」と
私の不安は膨らんでいった。
誰かに褒められても、受け入れると
自分が崩れてしまいそうで、否定し続けた。
こんな自分じゃだめだと自分を責め続けた。



自分を責めることに終止符を打てたのは
50歳の時。

モナコの舞踏会に参加をしたとき
「人生を楽しむとは、覚悟なんだ」
とふと思った。

モナコの舞踏会に集まるマダム達は、
「誰とも違う」自分を表現し楽しんでいた。
「いいなあ、この人達は楽しそうで。」
と思った瞬間、
「でもこの人たちにだって、
きっと色々あるはず」と言う考えがよぎった。
「そうか、ただ楽しいことが起きるだけの
人生を歩んで来た人達でなく、
“自分の人生を楽しむ”と
覚悟を決めた人達がここにいるんだ」と…。

その時、
私は何の根拠も証拠も自信もなく、
ただ、「人生を楽しむ覚悟を決めよう」と
自分に宣言をした。


そこからまるでオセロの黒い駒が
白い駒へパタパタと変わるように、
人生が変わった。



「他の誰かになる」ための
人生が終わり
「自分を表現する」ための
人生が始まった。



50年… 随分遠回りをしたけれど、
私には必要な50年だった。
自分の人生に悔いはない。

でも、時代の流れが速い今の時代、
私の経験が少しでも他の方の
お役にたち、無駄に人生の
遠回りをしなくてよくなるなら、
これほど嬉しいことはない。



未来は過去の延長線上にはない。
誰の中にも、まだ気づかれていない
無限の可能性がある。
自分があきらめない限り、
未来の可能性は無限。



私はエンパワメントプロデューサーとして、
ひとりひとりが本来持っている
可能性や力に気づき、発揮し、
自分の人生を愛し、
活躍する人を応援していきたい。

次のステージに行きたいけど、
あと一歩が出ない人や、
結果は出しているのに
まだこれじゃだめだと自分を責めたり
自信が持てないでいる人達。
その人達に「大丈夫だよ」と伝え、
背中を押したい。



時代は組織と肩書きでつながる時代から、
個人の魅力でつながる時代にシフトしている。


ひと昔前、「出る杭はうたれる」時代だった。
輝いて目立つことは危険だった。
でも今は、あなたが輝くことで、
周りの人達をも輝かせることのできる時代。



この素晴らし時代に
生きていることに感謝しながら、
最高の自分を生きる、
表現する人が一人でも増えることで、
よりよい日本を
次の世代にわたせればと願っている。



(22:42)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字